ター坊と愛犬「太郎」

 ター坊は小学校の5年生。本名は福川武雄と言います。なかなか権威のありそうな名前ですが、近所の遊び仲間はター坊と呼んで居ます。その他にヒデ坊とかヤス坊とかキン坊とかヨシ坊などがいます。もっと小さい連中は、ミッチャンとかシンチャンとかタカチャンなどと呼ばれていて、チャンから、坊になるのは小学校に入るまでの時間がかかります。

 坊から君になるころには中学生になってからなのが、この地方の子供達の共通認識のようです。

 ター坊の家は数件の家が建ち並ぶ狭い路地の一番奥にありました。ター坊のお父さんは警察官です。警察官と言っても交番勤務のお巡りさんではなく、小さな町の警察署の署長さんでした。

 毎日、出勤の時には、ぱりっとしたスーツを着てしゃれたネクタイを締め、中折れ帽をかぶって出るお洒落なオジサンです。  時々警察の車が迎えにくることもあります。鼻の下にチョビ髭を生やした小柄で温厚そうな人です。

 出勤時に、学校へ行く近所の子供達が出会って、所長さんに挨拶すると、ニッコリ笑って「みんな気をつけて学校へ行くんだよ」と丁寧に挨拶を返すような優しい警察所長さんです。それでも昔は、柔道や剣道を随分練習したそうです。

 所内では鬼所長とか火の玉所長とか言われて畏敬されているそうです。

 そんなある日、ター坊のお父さん・警察署長さんが、昼間、制服姿で慌ただしく帰ってきました。学校から帰ったばかりのター坊は驚いて聞きました「お父さんどうしたの、こんなに早く帰ってきて」  お父さんは家に入ってくると大急ぎで、抱えていた子犬の首輪にポケットから取り出した鎖を繋ぎ、庭の木に鎖を繋ぐと「今晩説明するからこの犬に水をやっておいてくれ」というと大急ぎで出て行ってしまいました。

 車が発進する音が聞こえた後、子犬がクンクン鳴いています。ター坊はお父さんに言われたとおり、大急ぎで丼鉢に水を入れ犬の鼻先に置くと、嬉しそうに尾を振りながらペチャペチャと水を飲みました。

 ター坊は犬が欲しいと言ったことは一度もありません。なぜ、お父さんが犬を連れてきたのか解りません。

 その内、ター坊のお兄さんが帰ってきました。「俺はこれから大学の受験勉強で忙しいから犬の世話はお前の役目だぞ。」と言って自分の部屋に入ってしまいました。

 それから暫くして、お母さんと妹が買い物から帰ってきました。お母さんは、子犬を見ると「汚い犬ね。武雄何処で拾ってきたの、もう一度捨てていらっしゃい。」と言って、ター坊が、お父さんが連れてきたことを説明する前に家の中に入ってしまいました。

 ター坊は、家族からあまり歓迎されてない子犬を見ながらなんだかかわいそうに思えてきました。

 ター坊が手を出すと小さい舌でペロペロター坊の手をなめて、尻尾を振ります。ター坊はおやつの煎餅を小さく砕いて子犬にやりました。よほどお腹が空いていたのでしょう、尻尾をもっと強く振りながら、それをガツガツ食べるのです。