悲劇の美女 楊貴妃

次は、則天武后の時代より少し下った時代のことです。内乱で一時混乱した唐朝を立て直し、開元の治と称される太平をもたらした唐朝中興の名君と称されたのは6代皇帝玄宗です。しかし皇帝は才色兼備の美女楊貴妃出会ってからは楊貴妃の美しさの虜となってしまいました。

 彼女が愛用したのが、ツバメの巣(燕窩)です。彼女のあまりの美しさに心を奪われた皇帝は、政務を疎かにするようになり、各地に不平分子の反乱が起りました。非難は皇帝を籠絡したとして楊貴妃に集まりました。

 結局、楊貴妃は皇帝を助けるために自らの命を捧げた悲劇の主人公となりました。彼女もツバメの巣の愛用者でした。その輝く美貌は衰えることがなかったと言われています。

 楊貴妃を失った後の玄宗皇帝の失意と哀惜情を、唐の大詩人白楽天は「長恨歌」でうたいあげています。ツバメの巣の効果の故にあまりにも美しすぎた事が楊貴妃の悲劇を生んだのかも知れません。