犬の思い出

嘗て、我が家に犬がいたころ、この犬は我ら家族に対しては誠に従順無害で、口の中に手を入れても噛みつくことはなった。

 食事ガツガツ食べている最中でも、「待て」というと食べるのを止める。その後で何か新しいご馳走を入れてもらえることを知っているからである。

 しかし、外来者には容赦がない。激しく吠え飛び上がり鎖がなければすぐに噛みつきそうな剣幕で暴れ回る。

 一度、私の従兄弟が訪ねてくれたことがある。

 彼と一緒に、犬を連れて散歩に出たが、犬が終始彼を警戒して私を守るようにして歩いているので彼はすっかり閉口して「犬は怖いね」と言って帰って行った。

 この犬の寿命は長くなかった。私が家を出て数年後に、7才で寿命が終わり、死骸の始末に困った母と妹は保健所に電話した。

 保健所から来た犬の死体回収者の自転車の荷台のダンボル箱が小さかったため、頭と前足一本が入らなかった。

 保健所のお兄さんの自転車がでこぼこ道を走る間、箱からはみ出した犬の頭と前足が、別れを惜しんで手を振るように動いていたそうである。

 犬嫌いの母とこの犬の深い関係は忘れることが出来ない。