ツバメの巣って何だろう?

イスラームって何だろう?

最大の危機

 ムハマッドに対するメッカの市民の迫害は厳しいものでした。

 その中でいつもかばってくれていた、叔父さんと、妻ハデージャが亡くなった後は、メッカ市民全部が、ムハマッドを排斥しました。

 ムハッマドは、数少ない追従者に危害が加わらないようにエチオピア・隣の大都市メヂナなど、あちこちに非難させました。

 しかし彼は、メッカにとどまり、起死回生のチャンスを待っていました。しかし事態はますます悪くなるばかりです。

 郊外の丘に街の有力者を集め、偶像崇拝の廃棄を叫んだとき、「我らの先祖はそんなことを言っていない」と言う反論を受けました。

 ムハマッドは言いました「先祖がやっていたことでも間違ったこともある。それを正すためにアッラーが言われる」と訴えました。

 その夜、多くの刺客がムハマッドの家を襲いました。友人の忠告で死地を脱したムハマッドはメディナとの逆方向にある洞窟に身を潜めていました。刺客達はメディナ方向へ逃げたと思って追跡しましたが見つからないので、逆方面も綿密に調べました。

 ムハッマドの潜んでいる洞窟の前へ来たとき、洞窟の入り口に蜘蛛の巣が張っているのを見てここは良いだろうと言って、去っていったと言われています。

 アッラーが蜘蛛を使って、預言者ムハマッドを守らせたと言うのです。

 そして、ムハマッドは無事に、隣町メディナに着くことが出来ました。

 それから後の、ムハマッドの活躍はめざましく、宗教指導者だけでなく市民達の調停者市制をあずかる政治家、また時には侵略してくる外的に対する軍事司令官として大活躍をしました。

 愛妻ハジャージを亡くした後、ムハマドは政略結婚がらみで10人以上に妻を持ちましたが、子供は残りませんでした。最初の妻ハジャージとの間に生まれた、娘ファティマーが年若い従兄弟アリの妻となり生んだ子達が、ハサンとフセインです。彼らが、非業の死を遂げたことから、少数派のシーヤ派が生まれこれに対抗するスンニ派との間に現代にいたる千数百年に及ぶ長い抗争の歴史が続いています。

 これから、どうなるのでしょう。

 

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